生命に関わる、食べ物に関しての感覚が衰えすぎているのではないか? | atmosphere

生命に関わる、食べ物に関しての感覚が衰えすぎているのではないか?

いつもよくいくスーパーの品揃えが、
西日本産が減ってきた。
いったいどうなってるのか知らないけれど、
今迄の仕入れとはちがってきているのは明らかなようだ。
(たぶん仕入れ値が安いところからいれている)

ということで、西日本産の魚、肉、野菜を今まで通り販売しているところの
スーパーを探しにいく。
放射能の専門家でない人は、
出来る限り安全な食べ物を選ぶ努力をしているということです。

あった。あったというか、まぁ、今迄仕入れているのだから、
あって当然なんだけど。
生産者と消費者を繋げるのがスーパーの役目であって、
仕入れ値が安いとかの理由のスーパーは敬遠しがちになっていく。

今の政府の放射能関連の対応で、
食べ物関連を政府基準で仕入れているところを、どう信用していいのか?
海面投棄、東京電力が福島原発作業員の食事無償提供を打ち切りとか、
生命に関わる、食べ物に関しての感覚が衰えすぎていると思う。

どこからでも食べ物を手に入れられると思っているのだろうか?

そんなこんなで考え出すと、
これからのブランド力って、
「無放射能」になるかと思われる。

日本のどこかで、無放射能を宣言する街がでてくるかもしれない。

かもしれないというのは、
権力関係で、無放射能宣言できる街があるのかどうかという政治家次第?
逆にいえば、無放射能宣言する政治家を選ぶ市民次第ということになると思う。

人がいなければ経済はなりたたたない。
食べ物がなくなって、人がいなくなっても、
経済がなりたつと、日本の政治、経済界はおもっているのかもしれないけれど、、、